10/8(Sat) out of the box

私には好きな言葉がある


’’out of the box’’


意味は、枠からはみ出る、大きな枠で物事を考える、いい意味で常識を覆す、


いろんな捉え方ができる言葉だと思うが、現在のわしはこう解釈している。


それの意味するところは、人がやらないことを派手に一歩踏み出して挑戦していく。


そう思って、わしはちょくちょくお前アホやろ?と思われるようなことをちょくちょくトライしてきたつもりです。


日本の歴史や教育のシステム的に、よく日本は枠の中でどう上手くやりくるするか、そんなようなことが議論されていることをよく耳にする。


自分自身も元々キレイに、その通り枠にはまって、ごく普通に元気な少年だったような気がする。


でもある時から、一度きりの人生豪快に生きたい、せっかく生まれてきたなら何か地球にツメ跡くらい残したいな、そんなようなことを思い始め、この言葉に出会った。


しかし、最近、''out of the box''に対する自分の解釈が変わった。


枠からはみ出す。


つまり皆がやらないようなことを、派手にこなす。


それも決して間違いではない。


世の中、’’’out of the box’’まさにこの言葉のように、ほんの小さなひらめきであったり、他にはない才能を活かしたり、何か周りとは違ったものを発揮して活躍する人はいる。


もしかしたらそれは努力でも獲得できるものかもしれない。


となると、そのような枠からはみ出し一線を越えて活躍している人と、枠からはみ出している?といか何かそうやって栄光を求めて新しいことに挑戦しているけど、一線を越えきれない人たちの違いは何にあるのか?


こういう疑問にぶちあたった。


スポーツの世界でも同じだと思っていて、努力している人は沢山いる、様々なことを犠牲にして本気で勝負している人が沢山いる、だけれども勝てない。


その差はなんなのか。


もちろん、才能。という回答もある。


けれどそれだけだとは思えない。


そこでわしなりに考えた。


’’out of the box’’には二面性があると。


おそらく、誰もしないような、派手なことをするのは意外と簡単。


難しそうに見えて、あまり難しいものではないように思う。


ではout of the boxしている人たち、つまりは世の中で一線を超えている人達は、どうout of the boxしているのか。


答えはシンプル。


誰もしないこと。そこの本質は変わらない。


それは誰にも見えない、死ぬほど地味で、死ぬほど当たり前なこと。
それらで一線を超えている。


これが私の答え。


簡単に言えば、当たり前のこと、みんながだるくて手を抜くようなこと、それらのことをきっちりやる。


きっちりどころか、恐ろしくきっちりやる。


派手なところでも、out of the boxした上でね。


そこの違いではなかろうか。


自分の中でこの''out ob the box''に対する解釈を一歩前進させることができたこと、これは自分にとって大きな成長だと思っている。


だが、理解が進んだからといって、そこで終わりではない。ここからが本当の壁。


ほとんどの人が乗り越えられない壁、それがここであり、自分は今そこにいる。


それを無意識化することが最終形態であり、それが無意識化された時、わたしはLEGENDになっているかもしれない。


今の自分を見れば、無意識化なんてもんではない、いろんなことをサボっている。


客観的に見て一つ褒めるとすれば、’’だるいな’’’’めんどいな’’そう思った時、


二つのout of the boxが頭をよぎることが多くなってきた。こと。


確実に回数は増えている、だがまだ少ない。


この壁をわしは超えます。


最近のGtaro's kitchenでsee ya!👋

Samurai Gtaro's daily in Los Angeles

GtaroのLA留学日記! 曜日ごとにテーマを決め、LAやUSAの文化や面白いことを自分の体験を通して発信できたらなと思っております。

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