11/2(Wed) 統計学的観点から見た型・ルール
Hello!
大変お久しぶりな投稿になってしまいました。
今学期私が取っている授業の中で一番私を苦しめているもの、それが統計学です。
かなり奮闘しているのだが、もともと数学な好きなわしにとっては、興味深く学んでいて面白い。
統計学を学問的に将来使うことがあるかどうかはわからないけれど、統計学的思考?はものすごく役立ちそうな気がしている。
そんな中で自分の中での一つの気づきがあります。
おそらく統計学を学んだことがある人はわかると思うが、この学問で最初に手をつけるのが’平均’’標準偏差’’分散’などなどだと思う。
誰しも中学あたりで一度は触れていると思うのだが、それが実際どういう意味があるのか、そこまでは深く考えなかった人が多いのではないだろうか。わしも含めて。
一番ベタで、簡単な統計学の最初に習うような内容がこれです。
For example, W高校のAクラスとBクラスの数学のテストの結果があり、仮に5人づつしかいないクラスだとして、テストの結果が
A 40 ,45 ,50 ,55, 60
B 10 ,20 ,50 ,80, 90, だとする。
結論から言えば二つのクラスのテストの平均は同じである。平均=50
しかし、決して同じデータのばらつき、つまりは二つのクラスが同じ学力であるとは見ての通り言えない。
平均とは単なる、一つの指標であって、大体の人には当てはまりそうな値だけれど、それだけで何かを判断するためにはとても不十分ということが言える。
世の中には’’平均’’という値を使って広告をする会社などが多くあるけど、単純にそれだけを信じてはいけないことになる。
それはさて置き、この平均の意味を念頭に置いて、ここから先の話を聞いていただきたいと思っております。
わしはこの統計学という学問を学び始めてから、何かあることにピンときていて、それは、世で言われる『ルール』や『型』と呼ばれるもの。『枠』なども入れていいかもしれない。
皆さんはルールや型ということを聞いて、どんなことを思い浮かべるでしょうか?
おそらく’’皆に当てはまる正しいこと’’であったりそんなようなことだろうか。
ウィキペディアさんによると
・規則であり、人が従うべき準則。とありました。
私はまずふと完璧まではいかなくとも、ルールや型という言葉は『平均』という言葉または『平均という考え方』に置き換えられるのではないかと思ったのです。
もしそれが置き換えが聞くとするならば、誰しもが従うべきルールや型と言われるものは、先ほどのAクラスBクラスの例のように、大まかな大体の人間には当てはまるが、Bクラスの生徒のように全く当てはまらない人が存在する可能性が出てくることになる。
たとえそれがAクラスだとしても、平均と完璧に合致するのは50点を取った生徒だけであり、他の4人は近いとはいえ、完全には合致していない。
これはどういうことか。
つまり『ルール』や『型』は大まかに大体の人にはあてはめることができるが、ある程度を超えてくると、それはもはや意味をなさず、全く当てはまりもしないものになるのではないか。ということ。
これはどんなことにも応用が効く考えだと思うけど、具体的な例を二つほど。
一つはスポーツの世界。
誰かが新しいスポーツを始める時、コーチやその競技に詳しい人はまず何を教えるか。
高校一年生が新しく部活に入ってきて、顧問の先生や先輩たちはまずその子たちに何を教えるか。
ものすごい技術でもなく、華麗な技でもなく、誰でもできそうな、誰にでも当てはまりそうな、その競技の基本に位置する『型』だと思う。
自分が陸上をやっていることもあり、陸上で例をあげると、まずは基本に沿った体操から入り、走る前のウォーミングアップのためのドリルと言われる、走る動きを細かく分けて部分てきに動かすようなことだったり。
大体それらは、みんなで一緒に揃って行われる。
しかしそれが次第にレベルが上がっていくにつれて、大会で結果を残すような人たちはその輪から外れて自分で体操、ドリルとウォーミングアップをこなしていく。
これは自分は練習の時にどこをストレッチをして、どんなウォーミングアップをすると調子がいいのか、練習を積んでいくにつれてわかってくるからと言える。
オリンピックに出るような選手になると、ルーティーンとなり、すべてが計算され、その人に最適と思われるものが行われていく。
これは前にあげた数学のスコアでいうと、Bクラスの80や90点を取っていた子に置き換えられる。
入部当初に教わった『型』は決して間違いではないが、その人には、もっというと、人それぞれに最も最適なものがあるということ。
AクラスBクラスの平均が大体の人に当てはまるけど、大体の人に正確には合致していなかったように、これは入部当初に教わった『型』は大体の人にはそれなりに当てはまるけど、大体の人には最適ではないことを意味している。
アスリートwhich is レベルが上がってくればくるほど、『型』に合わせていては良い訳がないのです。
二つ目は企業や何かしらの組織・団体に言えることです。
ここでちと補足を入れて、ここまでなんだかルールや型、規則を批判するような流れになってきているが、一つ忘れてはならないのは、ルールはなくてはならないということ。
これだけたくさんの人間、違ったタイプの人間がいるこの世界には、何かを統制?するルールはなくてはならない。
企業などでも、企業理念やそれに沿った社内でのルールというものは必ず存在するものだと思う。
ましてや、ルールはなくてはならないものであると思う。
それを踏まえて話を進めます。
これはちと例をあげるのが難しいので、ものすごい簡単な例を挙げます。
ある会社のスーパーマーケットがあったとして、そこには一つ従業員のみが使えるトイレがあったとする。
会社のルールで、トイレだけを使いに来たりする人を避けるため、カスタマーには一切トイレの使用を禁止しているとする。
水の費用もかかるし、立派な理にかなったルールである。
そのスーパーマーケットに急に吐き気を催したおじいちゃんが来て、トイレを貸してくれないかと尋ねてくる。
ルールに従えば、そこの従業員はその人にトイレの使用を許さないだろうが、平均としてルールを考えたらどうだろう、大体のシチュエーションでそのルールはプラスに働くが、Bクラスのようにそうでない場合もあるように、ここは私の個人の見解になるが、これは当然そのトイレを使ってもらって構わないシチュエーションかと思う。
そこの従業員に社員からのプレッシャーでトラウマ的な経験があったり、考えが堅物であったりすると、おそらくそのトイレの使用は許されないのだろう。
もう一度言うが、ルールは必要である。
接客業なんかでもこれと同じようなことが起こりうる。
アパレルのお店なんかを想像してほしい、その会社のルールでこの仕事をこの時間内に、この順序で終わらせる、なんていうようなタスクがあったとする。
ある従業員がその会社のルール、決まりに縛られ過ぎてしまい、お客さんに何かを尋ねられた時、ルールの方にある時間の制約を機にするばかり対応が雑になってしまったとする。
これにも同じことが言えて、ルール(平均に置き換えられる)はAクラスBクラスの大体には当てはまるけど、’’ほんの数人にしか正確には当てはまっていない’’ように本来幅があるもので
この場合では、ルールとして与えられた仕事ではなく、間違いなくお客さんに失礼のない対応をするため時間を使うべきである、たとえ’’そのルールが守れなくなってしまっても’’
ざっと2、3つの例をあげましたが
シンプルにまとめるとするならば
平均という言葉に置き換えられそうな’’ルール’’’’型’’などというようなものは、平均のように一見正しく正確な基準を表しているように見えて、いざ中を覗けば、それは大まかに当てはまるだけであり、必ずも正しくない、ほとんどの場合ずれが生じているものである。
平均が同じ50でも、中を覗けば10~90の幅があり, また二つのクラスの学力の差が生じているように。
もっと言えば、レベルが逸脱していくほどに、もはやルールや型などはあてにならず、自然とそこから外れていくもの。
しつこく述べるが、ルールや規則(平均)と呼ばれるものは必要不可欠である、だけれどそれが必ずしも正しくない場合が存在するということを認識することが大事だと思う。
もう一つ大事なのが、そのことを理解している人はとても少ないということ。
自分がもしルールや規則、型というものにフィットしない、そこから外れようと行動を起こす時、必ず批判や止める声がかかる。
それはなぜが?
ほとんどの人間がルールや型が100%正しいと思っているからである。平均が一見正確な値を示しているよう見えるように。
1〜99のデータの平均が50で実際に50というデータはたった一つしかないように。
この考え方が正しいのかはわからないけれど、最近はこんなことを考えているGtaroでした。😙
スティーブジョブスの『点と点を繋げる』
という話を知らない人は是非検索してもらいたいのだけど、
統計学を統計学で終わらせず色々な点と繋げると、ここまで話は広がり、深まりが増す。
最近はすごい、こういう点のつながりを感じることが多くて、今までよくも悪くも楽しいことも苦しいことも、たくさんの点(経験)を私に作ってくださったたくさんの方々に感謝しています。
明日も早いので、Gtaro's kitchen を載せてsee ya👋
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